整体の目的は
整体とは身体を整える行為と一言でいえますが、
その本質は、身体に対して自然な行為で、日常の生活に組み込み易く(行う事に対する障害が少ない)、健康の身体を維持する優れた健康法だと思います。
整体の目的1(日常生活に取り入れる)
理想の整体の形は強い症状になる前、コリ・ハリの段階でこれを解消することです。
古典に「良医は病が未だ発する前にこれを治すものであり、すでに病気になったのを治すのは凡医た」と言う言葉があります。
よく医療で早期発見早期治療と言いますが。これは整体の範囲内でも言える事で、腰痛などの痛みになる前の違和感・コリの段階で、これに対処する事が大切だと。
これを一歩すすめると、日常生活で気付かない違和感を整体を受ける事によって気付きく事き(将来に現れる自覚症状)、日頃の生活の反省をする事で、将来に備える事。
整体は日常の生活の中で自分で出来ない部分を補う
自分でストレッチ→家族にやってもらう→整体院へ
まずは、自分で身体をのばしコリやハリが取れるか試し、なかなか改善しない場合身近な人(家族)につらい所をさすったり・圧したりしてもらい、それでもきつい時に整体院へ来る事が理想的な健康法だと思います。
この事は、一回での整体の効果も出やすいですし、整体に通う回数も減らす事ができます。
漢方薬・鍼灸に比べて日常の健康維持に適している
身体の体調を整えるものに、漢方薬・お灸・鍼などがあります。身体の中に直接入れる行為でとても専門性が高い行為です。
日本の江戸時代の本に、「薬(漢方薬)・鍼灸はむやみに用いるべきではない」と説いています。つまり普段、病気でない時(なんとなく調子が優れない時も含め)に、健康の為に薬を飲んで病を防ぐ事を戒めています。
「健康のコツは自分で身体をもみ、ストレッチをし、呼吸を整え、もしもそれで足りない時は他人の手で整体を受けなさい」と説いています。
現代の整体の社会的位置(按摩・マッサージ・指圧師との比較)
日本に伝統的な手技として按摩があります。
按摩は明治に資格(現在の按摩・マッサージ・指圧師の資格の前)となり、その資格を持たないものは、按摩では無い事を宣言する為、いろいろな名前を付け施術をしていました。
その後、指圧・柔道活法・昔の按摩術に西洋から各種療法の理論と手技が入り、これらの各種手技が結合しそこに人々の工夫が加わり、現在の整体法が沢山存在しています。
整体の目的2(按摩・マッサージ・指圧師との対比として)
身体に対する手技による作用は、様々でキッチリと線引き出来ないですが、あえて言うなら
按摩・マッサージは主に血行を改善を目的に行う行為です。
それに対して整体は主に内臓・骨格・自立神経に対して行う行為と考えます。
整体の目的3(漢方の古典より)
下に中国の古典を例に書きましたが。現代の食生活(過食)・労働条件(あまり動かない)にとって整体が適している。
漢方の異法方宣論のなかで(中国)、「もともと一つの病であるのに、直し方にいろいろあって、皆治ってゆくのはどういうわけでしょう」
と言う問いかけに対し「風土生活の違いによるものです」と言う問答があります。
東は海が近く塩魚をよく食べ、熱くよく皮膚病になるので・いしばり(昔血を抜き体内にたまった不要物や有害物を血液と共に外部に排出させる事が効果、高血圧ほか様々な病気に効果があるとしていた。)がよく合い、
西は山岳で肉を沢山食べ内臓を悪くしやすく、これにはせんじ薬がよく合い
北は寒さが厳しく放牧し乳食し、内臓が冷え咳痰の病が多いのでお灸がよく
南は高温多湿の地で酸味のあるものや熟成したものをよく食べるので麻痺の病にかかり、これには鍼がよいのです。
と各地でそれぞれの適した方法が確立され、
中央は平野で人があつまり、労働をあまりぜずいろいろ何のを食べるので、その病の多くは冷えのぼせから身体の感覚を失って(精神的なストレスで体調を崩す事が多い)しまい、
このような病気には導引、按蹻(整体など直接身体を触れる技術)で気をめぐらせる養生法や治療法が宜しい
とあります。現代の生活は、中央の生活と類似しています。
※この節では整体の目的として古典の一説を切り取りましたが、この話の結論は、優れた治療家は一つの方法に固執せず、その患者に合っているものを選ぶ。